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2001.6/1〜2001.6/30

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◇50 years ago... 2001.6/3(Sun.)

今日は曽祖父の50回忌。
自分が生きてきた年月の3倍近くも前に亡くなったのだから、会った事はもちろんない。
彼がいなければ今の自分は存在しない。
漢字は違えど近い世代に同じ名前を持つ者として、不思議な感覚がしないでもない。
50年も前になると悲しみというより、遠くのことという感じだ。
思い出話に浸る人から、とりあえず飲む人まで様々。
自分は例に漏れず後者に当てはまり、さらに食べつづけた。
久々に騒いだ一日だった・・・

◇自業自得 2001.6/4(Mon.)

 昨日の暴飲暴食で胃が気持ち悪い。
症状からして、昨日のカロリー過摂取だと思う。
食欲がない。授業中もなんか胃が・・・。
自業自得という、仏教のありがたい教えが身にしみた。
 ・・・しかし、昼には昼食を喜んで食べている自分がいた。

◇Where do u wanna go? 2001.6/5(Tue.)

 人は死んだら何処に行くんだろ。
肉体はこの世に残るけど、自分の精神存在や意思は何処に・・・。
 そーんなことをちょっと考えてみたりした日。
自分から進んで飛び込んだ非日常。
でも、すぐに慣れたらそれも日常。
自分が全てを受け入れてるからか、みんなそんなもんなのか。
答えはいつの日にか出るだろう。
適度な刺激はある種のモチベーション♪

◇罪と罰 2001.6/6(Wed.)

誰だって罰は嫌い
たとえるなら、それは駐車違反
決して安くはない罰金をとられるし、予定外の出費
真っ先に腹が立つと思う

だけどそこでちょっと考えてみて
何のために罰があるのかを
駐車違反

通行する時の邪魔だし、止まってる車にぶつかって怪我したり
死ぬ人が事実毎年どれだけ出ていることか
一刻を争う患者を乗せて走る救急車
それが通れなくて、助かる命が奪われてるかもしれない

だから出来る限り迷惑となる車道への駐車をやめさせなきゃいけない
そこで「止めてはダメ」
そう言うだけじゃ大きな効果はきっとない
自分ひとりくらい・・・
そういう気持ちが働いてしまうから
そこで法的な力に出る
違反者は取り締まり、罰金という内容で

だけどそれでも違反者はなくならない
なぜかというと、駐車違反と罰金という「罰」だけが表層化して、
その奥にある「罪」に気づかないから

言いたいことは「駐車違反はダメ」だけじゃなく、
物事の奥にある「理由」を見抜けなくて惑ったりしている自分。
常に相手の立場でものを考えないと、全ては上手くいかない。
そう自分に言い聞かせてるだけなのかもしれない。

◇マイナス→プラス 2001.6/11(Mon.)

 ちょっとした事で、数日間悩んで凹んでた。
それが自分の思い違いだったことに気づかされて、気分はマイナスからプラスへ。
模試のせいで、帰りがいつもより遅くなっても躍ってた。
 今日の模試では、現国ではiモードやWindowsといったやけに最近の文章が出たり、
倫理ではエヴァンゲリオンや碇シンジが登場したりと時代の流れを感じさせられる。
そんなタイムリーなネタが出る中、数学は相変わらず何千年も前に見つけた法則を問う。

 まぁ、そんなことはどーでもいい。今日は程よい気分だ。
帰りの電車が徐行運転でいつもより時間を取られようが構わない。
構うだけの気力も久々のテストで殺がれたという方が正しいやもしれない。

 しかも、自分のいつもの駅のひとつ前までしか電車が行かなくて、乗換えがあっても気にしなかった。
ボーっと、次に到着の列車の時刻を眺めながら並んでいると、どこかで見たような顔がある。
向こうもこちらを見て、懐かしい表情を浮かべた。
それは高校に行ってから一度も会ってなかったとある女の子だった。
お世辞にもかわいいとは言えないけど、笑った顔に愛嬌がある、そんな子だ。
たった一駅の間だったけど、その子伝いに他のこの近況について話したり、
どちらも変わってないな、とか。
そんな何気ない会話を交わしながら駅で別れた。

 家に帰って遅めの夕食を終えた後、ちょっとした用事で同じ高校だった地元の友人の家の前まで行った。
ちょっとして帰るつもりだったけど、久々に会うと話が弾んで時の過ぎるのも忘れて喋りつづけた。
家に帰るはずだった時刻を当に過ぎて、頼まれた楽譜を渡す予定だった別の友人から途中で電話が。
家族に頼んで品物は受け取ったが、立て替えてた代金を受け取るために今喋ってる場所に呼ぶ。
そういう訳で、同じ中学、高校とを過ごした男3人で深夜のトークは続く・・・。
久々に気の置けない者同士で喋ったので心は晴れた。
消えていく人間関係もあれば、そのまま残る人間関係もある。
卒業して見つけた事の中で、これが一番大きいかもしれない。
そんな感じで、AM2:00前まで話は続いた・・・。
梅雨だというのに全然雨が降らない涼しい夜

◇フレッシュ 2001.6/13(Wed.)

何の変哲もない授業中、それは不意に起こった。
ノートを取りながら、それをいじってるとなにやらいつもと雰囲気が違う。
こびりついたのをとろうと、いじりすぎたのがよくなかったのかも知れない。
少しづつ染み出た液が止まらずにどんどん出てくる。
幸い、思ったより粘り気があったので水のように流れ出ることはなかったけど、
液はどんどん一箇所に溜まってくる。
刺激臭も立ち込めてきて、少し焦り始めた。
放っておいても事態の解決に繋がりそうにない事は、わかる。
慌てて、カバンをあさって取り出したポケットティッシュでふき取る。
だが、行動に出るのが遅すぎたせいか、手には所々白いものが残った。
こすっても全然とれない。手は所々白いけど気持ちはブルー・・・。

有機溶剤のメチルシクロヘキサンの臭いはマシになったけど、
手についた、めちゃ疎水基な修正液はこすっても取れない。
水で洗ってもきっと一緒だろう。
ようやく止まった修正液にキャップをはめながら、パリパリする手のまま授業は続く・・・。

◇凍らない冷凍庫 2001.6/17(Sun.)

 予備校の近くに一人暮らしの友達の家に行った。
同じ所に通っていても、週に一度顔を会わせればいい方だから、久しく感じる。
それと、何ヶ月ぶりかの後輩の女の子3人の計5人で喋っていた。
1つ下の後輩が今は同じ受験生。結構フクザツな気持ち。
まぁ、自分が後輩にならないようにはしたい・・・。
久々に会っても、まぁ、たいして変わらなかったけど自分が高校生だったことが遥か遠くに感じた。
 昼頃から夕方に掛けてずっと喋った後、女の子たちを送っていって、
その後、またその友達とサシで喋りつづけた。
一人暮らしっていうのは、実際やってみるとギャップがあるようだ。
幅広く雑多な話をしてるうちに、時間がかなり遅い。
帰れないことはなかったけど、快速もないし面倒だったので泊めてもらうことに。
そーいう訳で喋り通しの一日となった。
人それぞれ価値観も違うし、経験も違う。
その違いが、各々の性格や行動パターンを生み出してるのかもしれない。
日常じゃなかなか喋れない深いところまで喋れて、楽しかった。

◇900秒 2001.6/18(Mon.)

教科書と筆記具を借りて友たちの家から予備校へ直行。
いつもなら駅までの距離や、電車に揺られたり。
それが全然なくてかなり快適。
学校の近くの一人暮らしの一番の大きな利点はこれかもしれない。
通学時間15分。今までの最短の通学かも・・・

◇梅雨再来 〜とらふぃっくあくしでんととわたし〜 2001.6/19(Tue.)

 今日から梅雨前線が帰ってきた。
ここんとこ、全然降らなかった雨が窓に叩き付けられる。
朝の天気の良さが嘘のように、空一面の雨雲。
幸い、天気図を見てから出かけたので折り畳み傘を持っていた。
それでも、久々に泣き出した空はこれでもかというくらい涙を傘にぶつける。

 帰り道でいつもの駅前を歩いてちょっとした道路に出るとき信号が青から赤に変わるところだった。
まぁ、特に急ぐでもなくボーっと待っていると急いで原付と車が道路を横断していった。
そこで、原付が右折のため減速をしたが、後ろのRVの兄ちゃんはブレーキを踏むそぶりもない。
「これは、ぶつかるな!」
そう思い身構えた瞬間、大きな音を立てて1m半ほどの目の前で原付と自動車が接触事故を起こした。
右頬のすぐ隣を、何かの破片がかすめていく。
運が悪かったら巻き添えを食う所だ・・・。

 原付のメガネの気の強そうなお姉さんは運転手を睨みつけながら駐車可能なスペースに移動していたので
身体は大丈夫そうだ。車の方は正面をパイプで補強していたので傷はないようだったが、
原付の方は後ろのライトが砕け散って、さらに変形している。
さっき、自分のすぐ傍を飛んでいった物体は、恐らくそのライトの一部だろう。
自動車の運転手もすぐに駐車可能な所に停車したので、この雨の中示談でもするのだろうか。
原付の減速もかなり強引なものがあったが、黄信号で直進しブレーキを踏まなかったドライバーの方に
かなりの責任があると見られる。わき見運転の可能性も高い。
それに、自動車の兄ちゃんは気が弱そうで、原付のメガネ姉さんはかなり気が強そうだ。
まぁ、どっちが優位に立つかは日を見るより明らかだったので、そのまま何事もなかったかのように帰った。
雨はますます強さを増しているようだった・・・。

◇Singin' in the Rain 2001.6/24(Sun.)

 6月の降り止まない雨は、沈鬱な気分にさせる。
いや、それは自分の精神的な弱さを天候のせいにする、ある一人のぼやきかもしれない。

ただ毎日通り過ぎていく時間を浪費してるだけのような日々。
一日の終わりに感じる事は、今日という日をめ一杯過ごしたという満足ではなく、
漠然とただ時間だけが過ぎていったようにしか感じない。
毎日に「ハリ」がない。

 今日もある人にこういわれた。
「目に輝きがない」
普通ならそう言われると戸惑うだろうが、今日は違った。
「かもしれない」
そう、自分でも薄々は感づいていたことだが、やはり人の目にもそう映るらしい。

 最近の自分を例えるならギアを「ニュートラル」に入れたまま進んでいるようなもの。
いくらアクセルを踏み込んでも、加速しないし、かといってすぐに止まるわけでもない。
とりあえず進んでるだけでもマシかもしれないと思うけど、それは受動的であり
能動的に前に進んでいないわけであって、気分は・・・。
やれやれだ

 その原因はどこにあるのだろう。
言うまでもなく自分にあることは明らか。
その一つはこれ。
『明日から本気で始めるか。だから今日はこの辺でよしとしよう。』
その「明日」が一日伸び、二日伸び・・・。まぁ、そんなとこ。
いつからか、自分に対しての「厳しさ」がなくなった。
それはきっと、「嫌いになった自分」を捨て去ったあの日から。

 数年前だろうか、どうしても自分が大嫌いで何ヶ月も悩みつづけていた。
大嫌いな自分が嫌いで、その部分を排除しようとした。
考え方を変えるってのは簡単なことじゃないけど、半年ほどかけてやってる内に効果は出始めた。
自分でも不思議なくらい、心が軽くなったような気がして、全てが素晴らしく見えてきた。
ただ、その時にまとめて色々なものも失った。
極度のマイナス思考。新しい自分と考えが合わなくなってそれっきりの友達。
自分への過度の戒め。脅迫的なほどルールを守る。
その時は失ったものより、手に入れたものの方が多く、また視野も広くなった。

 ただ、その「捨て去った」はずのものが長い時間をあけて元の場所へ帰ろうとしてくる。
それが、最初の方に言ったしんどい理由のもう一つ。
やはり、人間というものは一時的に記憶を無くすことはあっても、
意図的に自分の中からある考えを排除して消し去ることなど不可能なんだろう。
きっと、己の中でその「捨て去った」はずの考えは抑圧されていて、
ある日、突如としてその考え方が帰ってこようとする。
だけど、その「捨て去った」はずの考えがいたスペースには、既に「新しく」入ってきた考えがあり、
元通りにおさまることはない。
さらに、その「捨て去った」考えは自分が認めたくない考え方だから、
再び排除しようとするが、消し去ることは不可能。そして葛藤は続く。

 自分は専門家じゃないので、確かなことは言えないけど、思いつく解決方法はひとつ。
自分が「捨て去った」もう一人の自分と、「捨て去る」ことにより見つけたもう一人の自分。
この、異なる考え方をした二人の自分を両方とも認める。
自分の中にある「弱さ」や「捨て去りたいもの」さえも排除しようとせずに認める。
そうすることによって、混ざりあった自分こそが、本当の自分かもしれない。

 読み返すと、数々の矛盾点が出てくるけど、今の状況を大まかに表すとこんなもんだろう。
解決方法は漠然としてるけど、なんとか見えてきた・・・。
ただ、不安なのは「混ざり合った自分」は「今の自分」とは違う自分なのだろうから
今ここにいる自分はどうなっちゃうんだろ。

◇散策 2001.6/26(Tue.)

 火曜の授業はいつもより1コマ早く終わる。他のみんなに比べると2コマ早い。
なぜかというと社会の選択が特異な「倫理」選択者なので、
通常の社会の授業の時間と違って水曜の7,8コマ目にある。
そのせいで、水曜はAM9:00〜PM7:20まで8コマとも全部授業というハードさだけど・・・。
 という訳で、早めに終わっても他のツレはみんな授業中なので、
気が付けば、火曜は一人で天王寺・阿倍野周辺の散策をしている。
男一人じゃ絶対入れないなという店内が全てピンク一色のパフェ専門店とか、
数は少ないけどやけに安い掘り出し物がよくある雑貨屋とか楽しいものも見つかる。
木曜から阿倍野にもジャンカラがオープンする情報も仕入れたりした。
1時間ワンドリンク付いてきて180円。嬉しい話だけど、自制心を高めないと危険だったり(笑)
 駅周辺もなかなか楽しい。ミスチルの「my life」をやけにいかつく歌ってる兄ちゃんや、
明らかに援交だろっていう中年のサラリーマン風のおぢさんと、女子高生二人組のグループ。
ほどよく頭の上のほうで地肌が淡く光るおぢさん。中間管理職といったところだろうか。
上からの圧力をモロに受けつつ、部下からの要求との上下からの両板ばさみになる役職の。
そりゃ憂さ晴らしをしなきゃストレスにやられるだろう。頭が薄くなって来てるのはそのせいかもしれない。
だからって、10代の高校生と遊ぶってのはどうかと思う。
でも、女子高校生の方も考えたものだ。友達と二人で来てる。
まぁ、おぢさんはどうひいき目に見てもパッとしないし、気が弱そうな感じだった。
いいようにあしらわれて、お金を巻き上げられるのがオチだろう。
そう思うと、なんだかその中年サラリーマン風のおぢさんが哀れに見えてきた。
あぁはなりたくない。
そうして、駅で待ち合わせをした3人組は街の雑踏の中へと消えていった。
その時のおぢさんの顔は、夏の空のように晴れきっていた・・・。
 その後、旭屋に行き参考書や新刊に軽く目を通したあとMiO改札へと向かう。
その途中にある非常口の扉か、建物の柱の間か。そういう感じの人一人か二人が
ギリギリ入れるかどうかのスペースに高校生風のカップルがいた。
その狭い隙間に二人で地面に座ったまま夢見るような目つきで見つめ合っている。
周りのことなど全く見えていない、「二人の世界」という言葉が当てはまる感じで。
そして、その少年は彼女の制服のボタンをゆっくり外しながら片手は彼女の胸元に伸びていく。
人通りが結構あるところなのに、何やってんだか・・・。
なかなか興味深いのでじーっくり観察してもよかったけど、
さんざん色んなところを歩いて疲れてたのでそのまま改札へと向かい家路へと向かった。

◇By bicycle 2001.6/28(Thu.)

今日は家で勉強。
の、予定だったのに色々あって自転車で田原本まで行ったりした。
走行距離は往復で30キロほど。何やってんだろ・・・。
でも、久々に「運動したー」ってカンジで楽しかった。疲れた。よく寝れた。

◇シャガールさん 2001.6/30(Sat.)

 帰りにちょっと本が見たかったので、旭屋に行こうとMiOに向かった。
その途中に催し物として、シャガール展がやっていると書いてある。
開催期間が明日までで入場無料、それにどうせ明日は休日なので最上階へと向かう。
 入り口でポストカードみたいなのを貰って中で絵を見ていった。
ハッキリいって自分は、まともな絵を書いたことがないし絵心もない。
でも、絵を眺めるのは好きだ。絵というカタチを通して、作者が伝えたいメッセージみたいなのがあるはずだから。
ある人は、文章というカタチで何かを伝え、ある人は音楽というカタチで気持ちをあらわる。
絵もそのひとつかもしれない。
人が自分の気持ちを伝えるには、言葉というカタチをとることが多い。
でも、言葉はいつでも不完全で自分の思い全てをあらわすには足りない。
音楽も絵ももちろん気持ちを表すには不完全。
その不完全さと、メッセージ性が好き。
 ただ、絵の値段は全然わかんない。ちょうどこの展は展示即売だったから、
ほとんどの絵に値札がついていた。何十万、何百万といった単位の値札がほとんど。
絵の値段って誰がつけるんだろ。作者はそれを望んだのか。
そんなことを考えながら順繰りに眺めていった。
シャガールだけじゃなくて、ユトリロやピカソなども展示していた。(もっとあったけど名前忘れた)
人はそれほど多くなかったので、じっくり眺めることが出来た。
誰の絵か見てなかったけど、燃えるような夕日の赤と暮れかけた空の絵が印象的だった。
いつもと違うことをするのはなかなか楽しい。

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